昭和57年(1982年)、早稲田大学卒業後トヨタ自動車に入社。世界一トヨタでの現地現物主義によるモノ作りの業務を学んだ。スポーツに於いても早大・トヨタともに日本トップレベルのラグビー部に所属し、ポジションはスピードあるウィングで、闘志あふれるタックルマンとして活躍した。
トヨタ時代の昭和61年(1986年)、日本選手権で大東文化大学を破り「ラグビー日本一」に輝いた。
平成元年(1989年)、 父の経営する昌和製作所に入社、トヨタのモノ作り哲学を経営に活かし業容を拡大。
1998年に代表取締役に就任する。
東海テレビで「町工場のラガーマン社長、聖地国立 最後のトライへ」のタイトルで独占取材を受け
14分間のテレビ放映されました。
動画紹介
第39回全国社会人ラグビー決勝 「トヨタVS神戸製鋼」
(1986年1月3日、花園ラグビー場、1985年度シーズン)
春シーズンの右膝骨折から復帰、この決勝戦が公式戦復帰第一戦。
右膝には固定するための針金が入ったままで、日本代表巨漢ロック林に一発必殺タックル!
8年ぶりの社会人日本一(12-3)
第23回ラグビー日本選手権 「トヨタVS慶応大学」
(1986年1月15日、国立競技場、観客62,000人、1985年度シーズン)早稲田大学時代の明治大学戦(早明戦)以来の国立競技場出場。学生の勢いに屈辱の敗戦(13-18)。中川意地の必殺タックル!
第40回全国社会人ラグビー決勝 「トヨタVS新日鉄釜石」その1
(1987年1月6日、秩父宮ラグビー場、1986年度シーズン)
釜石SO小林(現チタカ・インターナショナルフーズ社長、角日出夫氏)のパスコースを呼んで一発必殺タックル!(ラグビーの究極の醍醐味であるディフェンスからのトライ)(19-6)で2年連続の社会人日本一
第40回全国社会人ラグビー決勝 「トヨタVS新日鉄釜石」その2
(1987年1月6日、秩父宮ラグビー場、1986年度シーズン)
王座奪回に燃える新日鉄釜石に対し、中川必殺タックル連発!
第24回ラグビー日本選手権 「トヨタVS大東文化大学」
(1987年1月15日、国立競技場、観客62,000人、1986年度シーズン)前年の学生(慶応)に負けた屈辱の敗戦からの勝利(26-6)日本一を決定付けるラグビー人生最高のダイビングトライ!